なっとぅの黒歴史製造ブログ

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不死身の日本兵【都市伝説】

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どうも!なっとぅです!今回は、戦争中に何度やられても蘇生するというとんでもない生命力を持つ日本兵「船坂弘」について触れていきたいと思います!

 

 

船坂弘は1920年10月30日に栃木県の農家の三男として生まれ、幼少期には剣道や柔道などの武術を習っており、好成績も残していることからこの時から精神的にも肉体的にも強いことがわかる。20歳の時に軍隊に入隊し、その肉体的精神的強さから精鋭部隊の第36師団に配属され、さらにその中でもエリートだけを集めた第1大隊に配属されました。そして、この船坂は米軍を恐怖させた日本兵です。

 

第二次世界大戦におけるアンガウルの戦いにて、延べ200人を超える米兵を1人で蹴散らしたと言われる驚異の日本兵であり、その功績は現在でも語り継がれています。ちなみにアンガウルとは、パラオ共和国の州の一つでパラオ南部にある島です。また、軍でも最高の模範兵であり部下からの人望も厚かった。しかし、そんなすごい船坂弘がもっとすごいのは異常な生命力です。

 

アンガウルの戦いは米兵の数が多いことから、とても不利な戦いで、米兵全員を倒すというよりは敵の基地建設を阻止するのが目的でした。そしてこの戦いは命をかける戦いだったため生きて帰ることが不可能でした

 

そんな中、船坂は擲弾筒を使って前線で戦い、米軍数十人を吹き飛ばしていたが、すぐに戦車が大量に襲いかかり、船坂は集中砲火を浴びて大量の傷を残してしまった。左の太腿がえぐれており、迫撃の破片が左腕数カ所に穴が空いていた。しかし、帰還途中でも敵兵3人を見つけて、怪我の治療もせずに戦闘を開始し、1人を射殺すると銃剣を持って叫びながら突進してもう1人を刺しました。残った1人に頭を殴打されるも、気を失う前に銃剣を投げ倒していた。軍医からも直すこともできず、生き抜くことはできないという意思表示で自決用の手榴弾を渡された。

 

しかし、この時に大きなダメージがあったものの、翌日には歩けるまで回復し、戦闘に復帰した。この時点で船坂弘の生命力がすごいことがわかる。その後も重傷を負い続けるが何度も何度も回復し先頭に復帰し続けていた。まさに「不死身の日本兵」である。

 

だがある時、船坂弘は水を求める仲間のために水を汲みに洞窟から出たのだが、その時に敵兵によって腹部を貫通してしまいさらに重傷を負ってしまいました。明らかに致命傷で、船坂弘は軍医から渡されていた手榴弾をで決を決意した。しかし、その手榴弾は運がいいのか、悪いのか、不発で終わってしまった。船坂弘は死ねないことに絶望してしまった。

 

仲間はどんどん戦死してしまい、もはやこれまでかという状況だった。そんな中、船坂弘はあることを計画した。それは敵将を狙って単身敵地に乗り込んで肉弾自爆をすることです。体に6発の手榴弾を括りつけ、拳銃を一丁構え、敵陣地まで這いながらも4日間進み続けて、司令部から20mの位置までたどり着いた。そして司令部テントに敵指揮官が集合した瞬間、歩きのようなスピードだが、最後の気力を振り絞って全身全霊に特攻した。茂みから現れて米兵たちは驚くが、敵の方が速く、米兵の放った銃弾が船坂の首に命中し、彼は手榴弾を握りながらそのまま崩れ落ちてしまいました。そのまま船坂は米軍軍医により病院に搬送された。そして米軍軍医は彼の指を一本ずつ解きほぐしながらこう言った。

 

「これが日本の“ハラキリ”だ。日本のサムライだけができる勇敢な死に方だ。」

 

と賞賛し、

 

「日本人は皆最後は狂人となって我々を殺しに来る。」

 

と語った。

 

 

その三日後のことだった。

 

船坂は蘇生したのだ。

 

船坂は敵に情けをかけられたと怒り、病院の器具を破壊したり、敵に嘘の情報を伝えたり、捕虜になっても爆破しようと計画をしていた。だが、そんな船坂を思いとどまらせようとした軍医がいた。その人の名は「クレンショー」という。

 

クレンショーは船坂に対して、

 

「あなたがいなくなれば誰が日本を復興するのか?生きて日本を再建してください。」

 

と説得した。

 

 

その後、船坂弘は驚異的な回復を見せ、当時の平均寿命を大きく上回る85歳でこの世をさりました。日付は2016年2月11日の建国記念日である。そして、船坂は共に戦った仲間の「慰霊碑」を作ることに奔走して生涯を終えた。また船坂は戦後、大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。

 

船坂は日本のために戦ってくれた日本兵の1人で、驚異的な生命力とサムライ魂を見せ、米兵にも賞賛された。僕も船坂弘をとても尊敬しています。彼は身を削って戦ってくれた英兵です。

 

 

 

 

 

日本のために戦ってくてありがとう